Johann Kaspar Mertz (1806-1856) / ヨハン・カスパール・メルツ – Classical Guitarist【 クラシックギター 演奏、作曲家】

 Johann Kaspar Mertz (1806-1856) / ヨハン・カスパール・メルツ - Classical Guitarist【 クラシックギター 演奏、作曲家】

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 Johann Kaspar Mertz (1806-1856) / ヨハン・カスパール・メルツ – Classical Guitarist【 クラシックギター 演奏、作曲家】

 

 

 

 

19世紀ギター暗黒時代を彩った巨匠

 

 

 

 

 

ヨハン・カスパル・メルツ: 「ギターのメンデルスゾーン」

 

ヨハン・カスパル・メルツ(1806-1856)は、スロバキア生まれでウィーンで活躍したギタリスト兼作曲家です。

 

彼は「ギターのメンデルスゾーン」とも称され、その作風は同時代のメンデルスゾーンに似た初期ロマン派の影響を強く受けています。

 

メルツはナポレオン・コストと並び、19世紀半ばを代表するギタリストでしたが、この時期は「ギターの暗黒時代」とも呼ばれ、ギターの人気が低迷していた時代でもありました。

 

ソルやジュリアーニが活躍した19世紀前半と、タレガの登場によるギター復興期の19世紀末の間に挟まれたこの時期は、ギター音楽にとって厳しい時代でした。

 

彼が活動を開始した頃、ヨーロッパでのギターブームは既に下火となっていました。

 

彼の作品は、古典的な構成を持ちながらも、ダンス、ノクターン、ポロネーズ、オペラからの編曲など、幅広いジャンルにわたります。

 

メルツは妻とのピアノデュオを行い、10弦ギターを考案して演奏に用いました。

 

この拡張された楽器は、彼に新たな音楽の可能性を提供し、多くの演奏会用作品は7弦以上の多弦ギター用に書かれています。

 

 

 

 

 

ギターとフルートの天才少年

 

1806年、ハンガリー王国プレスブルク(現在のスロバキア首都ブラティスラヴァ)に生まれる。

 

メルツは幼少期からギターとフルートの英才ぶりを発揮し、12歳頃には家計を助けるために楽器のレッスンを始めました。

 

音楽への情熱は計り知れず、若い時期のほとんどをギター技術の向上に費やしました。

 

貧しい家庭に育ちながらも、音楽史に名を残す作曲家・演奏家へと成長を遂げました。

 

 

 

 

 

生涯

 

 

 

ヨハン・ガスパル・メルツ(1806-1856)は、プレスブルク(現在のスロバキアの首都ブラティスラヴァ)で貧しい家族に生まれました。

 

1840年にウィーンでコンサートを行い、そこで高く評価されウィーンの宮廷ギタリストに任命される。

 

その後、持病に悩まされながらも演奏活動や作曲活動に励みましたが、歴史に翻弄され波乱に富んだ人生を過ごします。

 

モラヴィア、ポーランド、ロシアへと演奏旅行した後、約2年間でドレスデン、ベルリン、ブレスラウ、ケムニッツ、ライプチヒ、プラハで演奏。

 

このコンサートツアー中、彼は同じ演奏会に登場した若い女性ピアニスト、ジョセフィーヌと出会い、共にツアーを重ね、数々の演奏会で成功をおさめた彼らは、1842年12月14日に結婚。

 

その後、数カ月、この新婚夫婦達に運も微笑み、ウィーンに戻った彼らは、王室や上流階級の市民にギターを普及する活動に没頭していく。

 

1840年までに、彼はウィーンに進出しました。ウィーン(c.1840 ~ 1856)では、A・ディアベリ、M・ジュリアーニ、ヴェンツェスラウス・マティエッガ、サイモン・フランツ・モリターなど、ギターのいろいろな著名な人物の中で、彼は活発に活動し自らの評判を確立しました。

 

そして、最高の後援を享受して、広くヨーロッパを周遊します。

 

メルツの有名な生徒の中では、たぐいまれなる音楽的才能を持ったレドコフスカ公爵夫人や、ヨーロッパ中の評判を得たヨハン・ドゥベスなどがいましたが、突然の病に倒れ、その後、約2年間、演奏活動を中止。

 

1848年、この年の春、再起した彼の演奏会は満員の聴衆の熱狂的な拍手で迎えられ、その後も演奏活動を続けましたが、ハンガリー革命が勃発し、収入を絶たれ貧窮に陥ります。

 

1849年、ワイマール公妃庇護のもと演奏会を開催。

 

その成功後、妻と共にドイツ・ロシアの各地に演奏旅行を開始しますが、その多忙な生活は、彼の病を再発させた。

 

1855年、バイエルン王ルドウィヒ1世の御前演奏を成功させたメルツは、その音楽的才能と演奏技術で高い評価を受けました。

 

しかし病気が再発、彼の健康は次第に悪化していきました。

 

1856年10月、ヨハン・ガスパル・メルツは波乱の一生を終えました。

 

 

 

 

 

功績

 

 

1840年、34歳の時に故郷を離れ、ウィーンへと旅立つ。

 

この地でギター教師としての地位を確立し、特に女帝カロリーネ・アウグステが後援する演奏会に出演して成功を収め、一流ギタリストとして認定された。

 

 

 

10弦ギターと表現力の飛躍

 

 

後のギタリストたちに大きな影響を与え、中でも「10弦ギター」の使用によりギターの表現力を飛躍的に向上させた。

 

彼の作品は多くが美しい旋律線と優しいハーモニーで特徴づけられ、現代でも愛奏されている。

 

 

 

ブリュッセル国際ギターコンクールの栄冠

 

 

このブリュッセル国際ギターコンクール(彼の偉大なファン・ニコライ・ペトロヴィッチ・マカロフによって組織される)で、31人の音楽家が選考にあがり、その中からフランス人ギタリストのナポレオン・コストが2等賞に選ばれた。

 

そして、ウィーンに住むメルツの作品「吟遊詩人Op.13」が第一位に選ばれ、賞金200ドルを獲得。

 

しかし、メルツはすでにこの世を去っていて、この朗報を彼自身が聞くことはなかった。

 

 

 

 

音楽の遺産

 

 

当時、ギター音楽は古典派のソールアグアド、ベルカントスタイルのジュリアーニといった巨匠たちの作品が主流でした。

 

しかしメルツは、彼らとは一線を画す革新的な作品を生み出していく。

 

その中でも特筆すべきは、1847年に出版された「吟遊詩人 Op.13」。

 

ロマン派ピアノ音楽の要素を取り入れたこの作品は、ギター音楽の表現力を飛躍的に向上させる。

 

メルツは10弦ギターを使用、その豊かな音色と表現力で聴衆を魅了した。

 

 

 

 

 

ギター作品復権

 

 

20世紀半ば頃までは、トゥリーナ、ポンセ、デスコ、ロドリーゴ、ヴィラ=ロボスといった専業作曲家の作品が主流だった。

 

彼らはいずれもギター奏者ではなかったが、ギターの特性を活かした名作を生み出す。

 

しかし近年では、ブローウェル、ディアンス、ヨーク、クレンジャンスといったギタリスト作曲家の作品が人気を集めています。

 

彼らの作品は、ギターの演奏技術を熟知しているからこそ書ける、高度な技巧と表現力豊かな音楽が特徴。

 

この傾向は、19世紀半ばのギター音楽の復権と密接に関係していると考えられます。

 

19世紀半ばは、メルツやコストといったギター作曲家たちが活躍した黄金時代でした、

 

彼らの作品は、ロマン派音楽の影響を受けながらも、ギターの特性を活かした独創的な音楽性で評価されています。

 

近年、ギター奏者たちは19世紀半ばのギター音楽を積極的に演奏し、その魅力を再発見しています。

 

その流れの中、ギター作曲家たちの作品も再び注目されるようになった。

 

 

 

 

 

晩年と最後の栄光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1848年、メルツは病を克服し、演奏活動を再開します。しかし、その翌年に勃発したハンガリー革命の影響で収入が絶たれ、貧窮に陥ります。

 

それでも彼は諦めず、1849年にはワイマール公妃の庇護のもと演奏会を開催し、成功を収める。

 

その後、妻と共にドイツ・ロシア各地へ演奏旅行に出かけるが、多忙な生活は彼の病状を悪化させ、再び演奏活動を中断せざるを得なくなる。

 

1855年、メルツはバイエルン王ルドウィヒ1世の御前演奏を成功させ、最後の栄光を手にします。

 

しかし、その翌年1856年、彼の妻コンサート・ピアニストのジョセフィーン・プランタンの看護のもと、

 

適切でないストリキニーネの過量投与により、50歳という若さでこの世を去りました。

 

 

 

 

 

最後に

 

 

 

波乱に富んだ人生と音楽への情熱

 

 

ヨハン・カスパール・メルツの人生は、栄光と苦難が交錯する波乱に満ちたものでした。

 

しかし、彼はどんな状況でも音楽への情熱を失うことなく、常にギターと真摯に向き合い数多くの名曲を生み出しました。

 

彼の音楽は、繊細な旋律、豊かな情感表現、そして革新的な試みによって特徴づけられ、後世のギタリストたちに多大な影響を与え続けています。

 

 

 

 

 

メルツの代表曲

 

 

 

 

  • 吟遊詩人 Op.13
  • カプリッチョ Op.1
  • ファンタジア Op.14
  • 「ハンガリー風幻想曲」

 

 

 

この曲は3つの部分に分かれ、マエストーソ(イ短調)、アダージョ・マエストーソ(イ長調-ヘ長調)、アレグロ・ヴィヴァーチェ(イ長調)となっています。

 

ハンガリー風というよりはジプシー風で、ヴァイオリン曲として有名な「チゴイネルワイゼン」などと同じ系統の曲と捉えられます。

 

 

 

 

 

 

作品リスト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

•3つの小品 Op. 65
 3 Morceaux, Op. 65•
  
•3つの小品 Op. 65 – 第1曲 ハンガリー幻想曲
 3 Morceaux, Op. 65, No. 1, “Fantaisie hongroise”•
  
•3つの夜想曲Op. 4
 3 Nocturnes, Op. 4•
  
•6つのレントラー「イシェルの思い出」 Op. 12
 6 Ländler, Op. 12, “Erinnerung an Ischl”•
  
•6つのレントラー Op. 9
 6 Ländler, Op. 9•
  
•Am Graben der Geliebten (2つのギター編)
 Am Graben der Geliebten (version for 2 guitars)•
  
•Cyanen als folge der Nachtviolen Op. 5
 Cyanen als folge der Nachtviolen, Op. 5•
  
•歌劇「リゴレット」の主題によるディヴェルティメント Op. 60 (編曲:B.B. バッガー)
 Divertissement uber Motive der Oper Rigoletto, Op. 60 (arr. B.B. Bagger)•
  
•Einsiedlers Waldgloecklein (編曲:B.B. バッガー)
 Einsiedlers Waldgloecklein (arr. B.B. Bagger)•
  
•ヴェニスの謝肉祭 Op. 6
 Le Carneval de Venice, Op. 6•
  
•Manuscripts from the Bojie Collection
•Wasserfahrt am Traunsee (編曲:B.B. バッガー)
 Wasserfahrt am Traunsee (arr. B.B. Bagger)•
  
•Works Published by Freie Vereinigung zum Forderung guter ギターremusik
 Works Published by Freie Vereinigung zum Forderung guter Guitarremusik•
  
•アインシードラー・ヴァルドグロックライン
 Einsiedler Waldglocklein•
  
•アガーテ Op. 22, No. 1 (V.I. モルコフによる7弦ギター編)
 Agathe, Op. 22, No. 1 (arr. V.I. Morkov for 7-string guitar)•
  
•ウェーバーの主題によるカプリース
 Caprice sur un theme favori de Carl Maria de Weber•
  
•ヴェニスの謝肉祭 Op. 6
 Le Carnaval de Venise, Op. 6•
  
•オペラレビュー Op. 8
 Opern-Revue Op. 8•
  
•オリジナル・シュタイアー舞曲 Op. 33
 Original Steyer Tanze, Op. 33•
  
•協奏的大幻想曲「La Rage」
 Grande Fantaisie Concertante, “La Rage” (The Rage)•
  
•吟遊詩人の調べ Op. 13
 Bardenklange, Op. 13•
  
•吟遊詩人の調べ Op. 13
 Bardenklange, Op. 13 (version for 2 guitars) (excerpts)•
  
•吟遊詩人の調べ Op. 13
 Bardenklange, Op. 13 (arr. for recorder and guitar)•
  
•幻想曲 イ長調
 Fantasie in A Major•
  
•恋人の嘆き
 Pianto dell’Amante•
  
•コンチェルティーノ
 Guitar Concertino•
  
•序奏とロンド・ブリアンテ Op. 11
 Introduction et Rondo Brillant, Op. 11•
  
•ショルホフの思い出
 Souvenir de Choulhoff•
  
•セレナード
 Ständchen (Serenade)•
  
•即興曲
 Impromptu•
  
•タランテッラ
 Tarantella•
  
•束の間の想い
 Pensee fugtive•
  
•ドイツのエアー
 Deutsche Weise (German Air)•
  
•トラウン湖のボート・トリップ(2つのギター編)
 Wasserfahrt am Traunsee (Boat Trip on the Traunsee) (arr. for 2 guitars)•
  
•舟歌 Op. 41
 Barcarolle, Op. 41•
  
•バルカロール Op. 41 (2つのギター編)
 Barcarolle, Op. 41 (version for 2 guitars)•
  
•挽歌
 Nanien Trauerlieder (Funeral Laments)•
  
•ハンガリー幻想曲
 Hungarian Fantasy•
  
•ハンガリーの花 Op. 1
 Ungarische-Bluthen, Op. 1•
  
•悲歌
 Élégie•
  
•不安
 Unruhe•
  
•ポロネーズとマズルカ Op. 3
 Polonaises and Mazurkas, Op. 3•
  
•マズルカ Op. 40
 Mazurka, Op. 40•
  
•マズルカ Op. 40 (2つのギター編)
 Mazurka, Op. 40 (version for 2 guitars)•
  
•マトラカ
 Matraca•
  
•マルヴィーナへ
 An Malvina•
  
•夕べの祈り(2つのギター編)
 Vespergang (Going to Vespers) (version for 2 guitars)•
  
•夕べの諧調
 Harmonie du soir•
  
•夜咲きすみれ Op. 2
 Nachtviolen, Op. 2•
  
•ラ・リメンブランサ
 La Rimembranza•
  
•練習曲
 Ubungsstucke•
  
•練習曲集
 Etuden•
  
•練習曲集「Boijie 391」
 Etuden, “Boijie 391″•
  
•ロマンティック
 Le Romantique•
  
•ワルツ Op. Posth
 Walzer, Op. Posth•
  
•3 Duos for 2 Guitars, Op.38
Auswahl der beliebtesten Tänze von Johann Strauss II, WoO 4
Barcarole, Op. 41 (arr. B.B. Bagger)
Divertissement uber Motive der Oper Rigoletto
Lied von Franz Abt, Op. 22
Mazurka, Op. 40 (arr. B.B. Bagger)
Ständchen (Serenade) (arr. for guitar)
Wasserfahrt am Traunsee
•シューベルト: 6つのシューベルト歌曲
 6 Schubertian Songs (arr. J. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: 涙の賛美 Op. 13, No. 2, D. 711 (E. ロレンツ、J.K. メルツによるギター編)
 Lob der Tränen, Op. 13, No. 2, D. 711 (arr. E. Lorentz and J.K. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: Schwanengesang, D. 957 (arr. E. Lorentz and J.K. Mertz for guitar)
 Schwanengesang, D. 957 (arr. E. Lorentz and J.K. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: Schwanengesang, D. 957 (arr. J.K. Mertz for voice and guitar)
 Schwanengesang, D. 957 (arr. J.K. Mertz for voice and guitar)•
  
•シューベルト: Winterreise Op. 89 D. 911:第13番. Die Post (E. ロレンツ、J.K. メルツによるギター編)
 Winterreise, Op. 89, D. 911: No. 13. Die Post (arr. E. Lorentz and J.K. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D. 821 (J.K. メルツによる2つのギター編)
 Arpeggione Sonata in A Minor, D. 821, “Arpeggione” (arr. J.K. Mertz for 2 guitars)•
  
•シューベルト: セレナード Op. 135, D. 920 (編曲:J.K. メルツ)
 Standchen (Serenade), Op. 135, D. 920 (arr. J.K. Mertz)•
  
•シューベルト: 涙の賛美 Op. 13, No. 2, D. 711 (編曲:メルツ)
 Lob der Tränen, Op. 13, No. 2, D.
711 (arr. J.K. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: 白鳥の歌 D. 957 – 第10番 漁師の娘(編曲:J.K. メルツ)
 Schwanengesang, D. 957 (arr. J.K. Mertz for voice and guitar)•
  
•シューベルト: 白鳥の歌 D. 957 (編曲:K. メルツ)
 Schwanengesang, D. 957 (arr. J.K. Mertz for guitar)•
  
•シューベルト: 冬の旅 Op. 89, D. 911 – 第13番 郵便馬車(編曲:J.K. メルツ)
 Winterreise in Op. 89, D. 911: No. 13. Die Post (arr. J.K. Mertz for guitar)•
  
•モーツァルト: 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K. 527 – 第2幕 ドン・ジョヴァンニのセレナード「窓辺においで」(J.K. メルツによるギター編)
 Don Giovanni, K. 527, Act II: Canzonetta: Deh vieni alla finestra (arr. J.K. Mertz for guitar)•

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

In English

 

 

 

 

Johann Kaspar Mertz (1806-1856) – Classical Guitarist

 

 

 

 

 

 

A master of the 19th century guitar dark age

 

 

 

Johann Caspar Mertz: “The Mendelssohn of the Guitar

 

Johann Kaspar Mertz  (1806-1856) was a Slovak-born Viennese guitarist and composer.

 

He is often referred to as the “Mendelssohn of the guitar,” and his style is strongly influenced by the early Romantic period, similar to that of his contemporary Mendelssohn.

 

Merz, along with Napoleon Cost, was one of the leading guitarists of the mid-19th century, but this period was also known as the “Dark Age of the Guitar,” when the popularity of the guitar was in decline.

 

Sandwiched between the first half of the 19th century, when Sor and Giuliani were active, and the end of the 19th century, a period of guitar revival with the arrival of Talega, this was a difficult time for guitar music.

 

When he began his career, the guitar boom in Europe was already at a low ebb.

 

His works, while classically structured, cover a wide range of genres, including dances, nocturnes, polonaises, and arrangements from operas.

 

Mertz  performed piano duos with his wife and invented the 10-string guitar for performance.

 

This expanded instrument offered him new musical possibilities, and many of his concert pieces were written for multi-string guitars with seven or more strings.

 

 

 

 

 

 

 

A boy prodigy on guitar and flute

 

Born in 1806 in Pressburg, Kingdom of Hungary (now Bratislava, capital of Slovakia).

 

Mertz  showed a gift for guitar and flute from an early age, and around the age of 12, he began taking lessons on the instruments to help his family earn money.

 

His passion for music was immense, and he spent most of his young years improving his guitar skills.

 

Despite growing up in a poor family, he went on to become one of the most famous composers and performers in music history.

 

 

 

 

 

 

 

Lifetime

 

 

 

Johann Gaspar Merz (1806-1856) was born into a poor family in Pressburg (now Bratislava, the capital of Slovakia).

 

In 1840, he gave a concert in Vienna, where he was highly acclaimed and appointed as a court guitarist in Vienna.

 

Thereafter, although suffering from a chronic illness, he devoted himself to performing and composing music, but history played havoc with his life.

 

After traveling to Moravia, Poland, and Russia, he performed in Dresden, Berlin, Breslau, Chemnitz, Leipzig, and Prague in about two years.

 

During this concert tour, he met a young woman pianist, Josephine, who appeared at the same concert, and together they toured and performed successfully at numerous concerts until they were married on December 14, 1842.

 

Fortune smiled on these newlyweds for the next few months, and they returned to Vienna, where they immersed themselves in activities to promote the guitar to the royal family and upper class citizens.

 

By 1840, he had made his way to Vienna. In Vienna (c.1840 – 1856), he was active and established his own reputation among various prominent figures of the guitar, including A. Diabelli, M. Giuliani, Wenzeslaus Matiegga, and Simon Franz Molitor.

 

He then toured Europe extensively, enjoying the highest patronage.

 

Among Mertz‘s famous students were the incomparable musical talent of the Duchess Ledkowska and Johann Dobes, who gained a reputation all over Europe, but he suddenly fell ill and stopped performing for about two years afterwards.

 

In 1848, in the spring of that year, he resumed and his concerts were greeted with enthusiastic applause from a packed audience. He continued to perform, but the Hungarian Revolution broke out, cutting off his income and plunging him into poverty.

 

In 1849, he gave a concert under the patronage of the Princess of Weimar.

 

After its success, he and his wife began traveling throughout Germany and Russia, but his busy life brought a recurrence of his illness.

 

In 1855, Mertz  successfully performed in front of King Ludwig I of Bavaria, and was highly acclaimed for his musical talent and performance skills.

 

However, his illness returned and his health gradually deteriorated.

 

In October 1856, Johann Gaspar Mertz  ended his turbulent life.

 

 

 

 

 

 

 

Achievements

 

In 1840, at the age of 34, he left his hometown for Vienna.

 

Here he established himself as a guitar teacher and was recognized as a leading guitarist, especially for his successful appearances at concerts sponsored by the Empress Caroline Auguste.

 

 

 

 

The 10-string guitar and a leap in expressive ability

 

He greatly influenced later guitarists, most notably with his use of the “10-string guitar,” which dramatically improved the expressive power of the guitar.

 

Many of his works are characterized by beautiful melodic lines and gentle harmonies, and they are still played with great affection even today.

 

 

 

 

Crowned winner of the Brussels International Guitar Competition

 

In this Brussels International Guitar Competition (organized by his great admirer Nicolai Petrovich Makarov), 31 musicians were selected, among which the French guitarist Napoleon Cost was awarded the second prize.

 

Then, Mertz , who lives in Vienna, was awarded first prize for his work “The Bard, Op. 13,” and won a prize of $200.

 

However, had already passed away, and he himself never heard this good news.

 

 

 

 

 

 

A Musical Legacy

 

At the time, guitar music was dominated by the works of masters such as Saul and Aguado of the classical school and Giuliani of the bel canto style.

 

However, went on to produce innovative works that set him apart from them.

 

Notable among them is “The Minstrel, Op. 13,” published in 1847.

 

This work, which incorporates elements of Romantic piano music, dramatically improves the expressive power of guitar music.

 

He used a 10-string guitar, which captivated audiences with its rich tone and expressive power.

 

 

 

 

 

 

 

Restoration of Guitar Works

 

Until the mid-20th century, the works of dedicated composers such as Turina, Ponce, Descoe, Rodrigo, and Villa-Lobos were the mainstream.

 

Although none of them were guitar players, they produced masterpieces that took advantage of the characteristics of the guitar.

 

In recent years, however, the works of guitarist composers such as Browell, Deans, York, and Clenzance have gained popularity.

 

Their works are characterized by highly technical and expressive music that can be written because of their mastery of guitar playing techniques.

 

This trend is thought to be closely related to the revival of guitar music in the mid-19th century.

 

The mid-19th century was the golden age of guitar composers such as Mertz  and Kost,

 

Their works, while influenced by Romantic music, were recognized for their originality and musicality that made the most of the guitar’s unique characteristics.

 

In recent years, guitar players have been actively performing guitar music of the mid-19th century and rediscovering its appeal.

 

In this trend, the works of guitar composers have also been attracting renewed attention.

 

 

 

 

 

 

 

Late Years and Final Glory

 

 

 

In 1848, Mertz  overcame his illness and resumed performing. However, the Hungarian Revolution that broke out the following year cut off his income and plunged him into poverty.

 

Nevertheless, he did not give up, and in 1849 he gave a successful concert under the patronage of the Princess of Weimar.

 

He and his wife then traveled throughout Germany and Russia, but his busy life aggravated his illness and he was forced to stop performing again.

 

In 1855, Mertz achieved his final glory by successfully performing in front of King Ludwig I of Bavaria.

 

But the following year, 1856, under the nursing care of his wife, concert pianist Josephine Plantin,

 

He died at the young age of 50 from an inappropriate overdose of strychnine.

 

 

 

 

 

 

 

Finally.

 

 

 

 

A tumultuous life and a passion for music

 

 

 

Johann Caspar Merz’s life was a tumultuous mix of glory and hardship.

 

However, he never lost his passion for music, and his sincere devotion to his guitar led to the creation of many masterpieces.

 

His music, characterized by delicate melodies, rich emotional expression, and innovative experimentation, continues to exert a profound influence on future generations of guitarists.

 

 

 

 

 

 

 

Representative compositions

 

 

 

The Bard, Op.13
Capriccio, Op.1
Fantasia, Op. 14
Fantasia in Hungarian Style

 

This piece is divided into three parts: Maestoso (A minor), Adagio Maestoso (A major-F major), and Allegro Vivace (A major).

 

It has a gypsy rather than Hungarian style, and can be regarded as a violin piece in the same vein as the famous “Tigoinelwaizen” and other violin pieces.

 

 

 

 

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